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これは、ほとぼりのねつはあついかと読んでほしい。別に意味はないけど。

え〜、熱血!平成教育学院で出題された「ほとぼり」を漢字で書きなさいという問題があったので無理やり使ってみた。実は私は書けなかった。熱りがさめたら〜という使い方はたまにするし、小説で「熱り」とちゃんと読んだことはあったけど、いざこれを漢字で書けと言われても困る。自分からこれを漢字で書いたことは今までの人生で一度もない。

こんな例はいくらでもある。薔薇をバラと読むことはできる。檸檬をレモンとも読める(これは、さだまさしの曲で知った)。憂鬱をユウウツと読むのも簡単だ。しかし今までの人生でこれらを国語の授業以外で、漢字で書いたことは一度もない。必要もない。結局人生はこんなものである。

知っていると自慢できるけど、知っていても生活にほとんど役立たないものはたくさんある。これが私に言わせれば薀蓄(ウンチク)である。雑学と呼ぶと浅く広くといった感じで上品なイメージがする。しかし薀蓄はうっとおしいイメージだ。漢字からしてうっとおしい。くりぃむしちゅーの顔が小さい方の得意技でもある。と、こんなことをつらつらと書いている私こそ読んでいる人にはうっとおしいであろう。まあいい。どうせ誰も見てやしない。

で、今回はくだらないウンチクというか妄想の特集。

まず「鯨」。クジラである。これをクジラを漢字で書きなさい、という問題はよくあるだろう。しかしうっとおしい私はココに突っ込みを入れる。

なぜ魚偏なのだ? クジラは哺乳類である。決して魚ではない。京となっているのは、数の単位でも億、兆の次の京を使って、つまりとてつもなく大きい魚と言いたかったのではないかと推測する。そしてこの漢字が作られた時代は哺乳類という概念がなかったのであろう。たぶん。

次に「海豚」。イルカである。これなんかもっとひどい。豚なわけがないではないか。私に言わせればアレは犬である。従って海犬と書くべきである。海猿でもいけない。シーモンキーになってしまう。私にはイルカが人間になついている様はまるで尻尾を振っている犬に見えてしかたがないのだがどうだろう。

そしてクジラもイルカも太古からいる高等生物である。クジラなど歌を唄う。イルカと一緒に泳いでいると癒されるという話もよく聞く。私は本来彼らが地球の主ではないかとさえ思ったりする。そしてイルカが陸に上がって進化して犬になったのではないかと妄想してみる。そして犬はDOGと書く。GODの逆さである。

そして犬、牛、羊など人間に深い関わりがある動物にはケモノ偏が付いていない。ネコは猫と書く。狐や狸などもケモノ偏である。犬と猫はペットでもおなじみの動物で並列で扱われる。しかし起源はどうやら違う、というより昔の人は差別していたように思える。


話の行方が見えなくなったところで最後のウンチク。ファーストフードとよく言う。これはfastfoodで、本当はファストフードであろう。しかし日本においてはこんなのかわいいものである。テレビジョンがテレビに、レイディオがラジオに、エナジーがエネルギーになる国なのだ。

さて、fastは早いという意味があるが、ほかにも断食という意味がある。実はこれ、身近でよく使っているのだが..

「breakfast」。これは朝食という意味だけど、この単語の語源までは学校で教えない。fastをbreakするのが朝食なのだ。つまり断食を絶つ(止める)のが朝食の本来の意味である。夜中は寝ていて断食しているわけで。

おまけ。一所懸命ということば。昔は確かにこう書いた。しかしいつのまにか一生懸命に代わってしまった。時代とともにことばが変化するのは世の常だが、なぜ変えたのかその理由がいまだに分からない。

武士が一所(戦場においての死線)を守るとか土地を懸命(命がけ)で守る意味からできたらしいが、なんか、一生をかけるくらい懸命になる..みたいな意味になってますね。

ちょっと今回はウンチクになってしまった。また今度書こう。どうも最近はクイズ番組が多いのではないか。それも昔のクイズ番組とは違って学校の勉強みたいだ。文部科学省が裏でなにかやっているのか? しかし楽しみながらゲーム感覚で勉強するのは賛成だ。

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